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製菓工場ボルシェビク(ロシア語:)は、旧ソ連最大の国営菓子メーカー。本社はモスクワ市にあり、ケーキ、クッキーなど小麦粉を原料とする菓子を製造した。モスクワ製菓工場ボルシェビク()としても知られた。1994年に公開株式会社ボルシェビク()として民営化した。現在もロシア国内の包装ビスケット(クッキー)製品の約4割を生産している。 ==概要== フランス人実業家のアドルフ・スー()夫妻が1855年11月24日にモスクワ市トヴェルスカヤ通りに開業した製パン店が発祥。1861年から香水製造を開始して急成長し、その後化粧品、香料、石けん製造にも進出して事業を急速に拡大した。1884年に「A・スー&K」社()として法人化し、サンクトペテルブルク大通り(現・レニングラード通り)にレンガ造りの本社と工場を新設した。1900年にはモスクワのほか、サンクトペテルブルク、キエフ、ワルシャワに支店を置き、馬車や自動車、コーヒー、ココアを販売したほか、製菓部門ではマーマレード、キャラメル、ヌガー、ワッフル、ケーキ、生クリームなどを製造販売した。1913年には菓子の品質の高さが評価されてロシア皇帝の表彰を受け、ロマノフ朝300年を記念したビスケット「ユビレイノエ」(記念日、)の製造を許された。「ユビレイノエ」はロシアを代表するビスケットブランドとなった。 十月革命後、1924年にA・スー&K社は国有化され、革命における労働者の貢献を記念して社名を「ボルシェビク」に改名した。1927年に化粧品など菓子製造事業を除く全事業が切り離され、小麦粉菓子の専業メーカーに改組。戦後1952年から工場のオートメーション化に着手し、ビスケット製造ラインに独自開発の機器を次々と投入するなどして生産性の向上を図った結果、1960年代には生産量でヨーロッパ最大の製菓工場に成長した。 1971年、第九次五カ年計画早期達成の功績でソ連最高会議のレーニン勲章を受章した。1970年代には、ロシア風菓子の製造販売を手がけていた大阪府豊中市のパルナス製菓の招きで、国家重要行事の記念ケーキ製造を指揮していた食品業界社会主義労働者英雄称号を持つ女性職長()のイェヴドキヤ・アンドレーヴナ・オージナ()〔 (週刊誌1970年2月7日付1970年第6号, レーニン勲章プラウダ印刷所出版)〕が2度にわたり同社でケーキ製法などの技術指導を行った〔「日本の企業『パルナス』は工場労働者を招き、社会主義労働者英雄のE・A・オージナが最高の技術を共有するため日本に赴いた」() (公開株式会社ボルシェビク公式サイト・社史)〕。 市場経済導入後の1994年、フランス・ダノン社が出資する公開株式会社ボルシェビクとして民営化された。その後2007年にクラフトフーヅロシア社が買収し、同社の傘下に入った。 A・スー&K社時代に建設されたレニングラード通り15番地の本社工場は、都市再開発事業のために2009年、クラフトフーヅがモスクワ東方約180kmのヴラジーミル州ソビンカ市に建設した新工場に移転し、同年10月14日から操業を開始した〔 (公開株式会社ボルシェビク、2008年5月27日)〕。 本社では工場移転後も、製菓卸業の「707」社()がボルシェビクブランドで運営するケーキ店(1998年11月開設)がボルシェビク製品の直販と、ウェディングケーキやバースデーケーキなどの伝統的ロシアケーキの受注生産を行っているが、クラフトフーヅ社は2011年、工場跡敷地売却と合わせて本社およびケーキ製造事業も売却する意向を示した〔(クラフトフーヅはモスクワの製菓工場ボルシェビクの建物を売却する) 2011年6月30日、ガゼータ()電子版〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボルシェビク (製菓)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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